room with an ant London - Tokyo

#fuerzabruta

// ウルトラスタジオ仮立ち上げ/ ULTRA STUDIO coming soon…//

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正式立ち上げは2014年4月、乞うご期待。

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シュワッチ!!!

// 「何をやりたいのかわからない」//

今リャマと羊の動画をエンドレスループしていたら閃いた。
「(将来)何やりたいのか分からない」とよく言われる事があるのだけど、そんな一言で述べて、誰にでも分かられてシンクロされる夢だったら目標に掲げる意味なんてないじゃないか。

小さい頃、なんで「将来の夢」を聞かれると職業名で答えなきゃいけないのかが分からなかった。日々色々考えて悩んで決断して、ようやく一歩一歩進んでいくわけだから関係の浅い人、分かろうとする努力をしてくれない人には分かられなくて当たり前。最近はもはや家族がこの領域に入ってきてしまっていて少し悲しいけれど。
リャマありがとう。

// ? Nuclear //

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(from 100 Suns by Michael Light)

http://online.wsj.com/article/SB10001424127887324094704579066751347436222.html (English) - Japan and the Fate of Nuclear Power

http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887323410304579070472363568220.html?mod=trending_now_1#articleTabs%3Darticle (日本語)-福島第1原発への理性的な対応妨げる放射線恐怖症

Extreme nuclear-phobia prevents the government to make the rational solution to the Fukushima issue due to the fear of being accused by the public.

Nuclear, once seemed one of the only competent  solutions against the nations’ lack of fossil fuel and the CO2 emission hence the global warming - I could now only lament in the same way as this journalist does at the end of the article.

When facing the huge unknown fear with seemingly no clear solution, the easiest and the most natural way is to blame somebody. The government, the electric company, the older generation etc.

Sure, there are some wrong doings, bad decision makings and shameful lies, but we should not consume and waste too much of our energy on accusing the others.

What I cannot bare the most is the situation in which people are throwing their anger at their virtual enemy partly to emit their enigmatic feelings.

We should also not forget that we are all beneficiaries of Nuclear and an accomplice in the situation.

Turn off the TV and go to bed.

Good night.

// 秘密保全法//

政府批判を煽りたいわけじゃないけど、気になるのでシェア。
秘密保全法案について。

一つ目の記事を読むと福島に関係した不安材料の隠ぺいの為に政府が推している法案のような見かたが見えるが、


あとの二つの記事を読んだり、少し調べると2006年からアメリカ合衆国との政策協議において、米国NSCとの継続的協議を行える組織を設けるように要請されたことがきっかけであり、アルジェリア人質事件が後押しとなったようだと言う事がわかる。

スノーデン事件の事もあるし、情報漏えいに敏感になるのもわかるけれど、オリンピック・福島で騒がれているこの時期に法案を通そうとするのは混乱を招くものかと。

http://blogos.com/article/69727/

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130818/plc13081803200002-n1.htm
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS22030_S3A120C1PP8000/

詳しくは

http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59415920X00C13A9EA1000/
http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdfhttp://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdf

軽井沢に半年ぶりに来たら、母が野菜畑とお花畑を家の周りにつくっていた。
朝から猫と一緒に水まき。

爽快!!!!!

叫びたいくらい爽快!!

軽井沢に半年ぶりに来たら、母が野菜畑とお花畑を家の周りにつくっていた。

朝から猫と一緒に水まき。

爽快!!!!!

叫びたいくらい爽快!!

// AAの方向転換//

就職活動をするについて、AAで普段当たり前とされてる作品や自分のワークの構築方法を広く一般の建築・デザイン界の人々に理解しやすいように咀嚼作業をしなければいけない。

私も日々ポートフォリオをまとめながら、なぜ自分のプロジェクトは他校の生徒のものにくらべて説明文が長ったらしいのか、いらいらとしている。

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ところで、パラメトリックデザインを中心とする高度なコンピュータープログラムを使ったデザインが未だにAA教育の真髄だと誤解されることが多い。
それは今の学長のBrettが以前はDRL (Design Research Lab)のヘッドだったということもあるだろうし、その象徴のようなZAHAの近年めまぐるしい活躍にもよるものかもしれない。


でも現実には、パラメトリックの流行りは、私の入学時・経済危機の到来と同時に、しゅるしゅると消えていった。新陳代謝が早いのが売りのAAのユニット制度だけれども、私が2年生の時に実験心で取ったユニットがIntermediate(1-3年生)最後のパラメトリックユニットだったように思う。

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じゃあAAの売りはどこにあるのかというと、それは何よりも、多様なユニットの個性とそのぶつかり合いで生じる化学反応にあるのだと思う。これは確実に学長のBrettが仕掛けているものだし、助長している。

AAで「強い」とされるユニットは、一部不動の老舗ユニット意外は、2,3年周期で変わっていく。

私が入ってから勢いのあるユニットの傾向を一言でいうならば、「スペキュレイター・ポリシープランナーとしての建築家」だ。空間のデザインという枠にはとらわれず、更に外を覆う被膜を全てデザインするという立場で、周りの学者顔負けのプランニングをすることを目指す人たち。もはや建物が存在しないことを完全によしとしている傾向だ。

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そんなことをと考えていたら今晩、同じユニット内の仲のいい友人がRIBAのブロンズメダルのAA代表の二人の内の一人に選ばれたというニュースが入った。

彼女は、ロンドンにおける土地の所有権や法規などの規制の多さと複雑さを嘲笑った面白い立場をとっていて、サイトとして与えられたKing’s Crossの一部のコミュニティガーデンがそれらの法律上の「穴」であることに着目し、そこに創れる空間を創造するスペキュレイティブなプランナー的なデザイナーに扮した。


我が学校にめずらしい生粋のロンドンナーである彼女は、イギリスの法令における「公共」と「私有」の関係性の奇怪さを暴くことにこの3年間こだわり続けた。でもそれを「デザイン」に落とし込むことに本当に四苦八苦していた。最後の方は本当におかしくなっちゃうんじゃないかって位、思いつめたりもしていて、作品が自分の個人的な信条と重なり合う事のえぐられるような苦しさは、横で見ていても痛々しかった。(今年はうちのユニットは同じように苦しんだ人は多かったようだけれど)

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仲間内ではなかなか面白い、頭のいい作品だと定評はあったものの、メインストリーム感を欠いたというか、まさかそれを学長がRIBA(英国王立建築協会)に推すとは正直思わなかった。

昨年までの傾向として、コンピューターをガチャガチャに使った、グラフィックの綺麗ななんとなくSFっぽい作品ばかりが推されていたからかもしれない。そして派手なグラフィックや膨大な数のダイアグラムを並べた、力技系のプロジェクトが学内選考を通ったと言う事がAAの最先端だと勘違いされる原因の一端を担っていたのは間違いない。

そして、私と彼女の所属していたIntermediate 2は、いうなれば「アウトサイダー建築」的な、個性派ぞろいのAAの中でもはみ出し者的な立場であったので、そこがAA群雄割拠時代に参戦出来たというのも喜ばしい。

そう考えると、(他の学校からみたらうんざりするくらいかもしれないけれど)伝統を重んじながらもアヴァンギャルドにこだわり続けたいAAにとって、まさしく「スペキュレイティブ」+「ポリシープランニング」という今現在のAAの特徴を最大限に引き出した彼女の作品は、ある意味納得の方向転換なのかもしれない。

そして個人的には、メインストリームを外れた、純粋にアカデミックな作品が評価される土壌がこの世のどこかに、というかロンドンのど真ん中にあるんだという事に夢が持てる。

あっぱれBrett学長。素晴らしい判断だ。 

そしてリリーおめでとう!

作品を見たい方は以下へどうぞ。

(http://pr2013.aaschool.ac.uk/INTER-02/Shalini-Carr/)

// 備忘録メモ:自分が建築学校で何を学びたいのか//

今日AAでHonours(最優秀賞)プレゼンをざっと見、3年間の締めくくりのRIBAの最終プレゼン3日前という立場から思ったことをつれづれ。

先週最終プレゼンで、デザインプロセスが明瞭でないことを指摘され、ナラティブが強すぎると言われた。デザインプロセスに関しては、今説明スライドをつくっているのだけれど、今後の方向性を考えるのにいいきっかけになった。

今AAで何を学んでいて、year outも入れてあと3年で何を学び切りたいか。

まず、忘れてはいけないのは、もともとAAに興味を持ったのは、建物の建て方、空間の作り方への興味ではなかったということ。


最近気が付いたのは、私が演劇・舞台が好きなのはパフォーマンスが好きなのではなくて、結局は立体化した文学が文字以外の形で体にしみこむ感覚が好きだから。ダンスより結局ストレートプレイが好きなのも、パフォーマンスの身体性は私にとっては二次的で、言葉で創り上げられた世界への彩りとして見ているから。


AAを知るきっかけになった友人アダムの作品はまさしく立体化した文学。

そういう意味でナターシャ率いるディプロマ9の今のアプローチはその究極的な形かもしれない。セオリーとビジュアルの発展を高速回転した結果、思いもよらないビジュアルエッセイが1年で出来上がる。それに対して、「建物ではない」とか「理屈ばかりでデザインがない」とかいう批判はお門違いで、ある意味物理的に存在する建物なんかよりも強烈な「建築」なはずだ。

「建物」を設計した場合、消費者・住人の意見・経験が第一というスタンスと、藝術家としての建築家の作家性が第一、というスタンスの平行線の議論になりがち。

でも9的なアプローチは、建築の学校で学ぶスキルを最大限に使った上で、自分の中で何かしらの、現代社会に対する強烈なクリティークを創る事が出来る。

同時に、純粋なセオリーと違って、ビジュアルのプロジェクトは無限の方向性があり、本能や直感と直結しているので、それを取捨選択、毎回判断をしていく能力を研ぎ澄ます練習をしている感じ。


あれにもこれにも興味がある私としては、自分の興味をある程度絞って、個人的な言語以上のコミュニケーション(ビジュアル)でプレゼンする事を学べている。

つまりAAを卒業するまでに、星の数ほどある「potential scripts」を一年に一つ、つまり5本書き上げる事が出来る。

もうそれに特化して突っ走るのでもいいんじゃないかと。

あぁもっと「書く」練習しなきゃなぁ

// Varo - modernist painter defined through post modernist thoughts//

 

(…)In other words, Varo’sBordando el manto terrestre produces a visual equivalent of the kind of ontological paradoxes that one finds in postmodernist novels - paradoxes based on the running-together, in a logically impossible way, of different levels of reality. 

(…)

Here, then, is a painting that does seem compatible with the kind of postmodernism that I have attributed to postmodernist novels - the postmodernism of ontological questions. The fact that this painting itself belongs to one of the modernist avant-gardes, and has only been framed by a postmodernist novel, may or may not be problematic. 

 

by Brian McHale from http://www.electronicbookreview.com/thread/fictionspresent/tense

Remedioz Varo  ( 1908 – 1963) was a Spanish-Mexican, para-surrealist painter and anarchist.

#maikotakeda #kemushi

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Urban dreamer

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Beam!!!!

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In house hat designer adding some aura to our flatmate.

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Hatmaker…?

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